~官能小説家を目指す私の葛藤~
はじめに:自らに問いかけた「ふさわしさ」
銀行で働く堅実な男が、ブログで女性器について語る。果たしてこれは許されることなのか?
この記事を書こうとしたとき、最初に浮かんだのは「世間はどう思うだろう?」という不安でした。
男性である私が、女性の性器を語ることは、越えてはならない一線を踏み越えることになるのではないか――。それは「冒涜」なのではないか?
正直、そう思いました。
それでも、私はこのテーマに向き合おうとしています。なぜなら、「性」は私たちの人生に深く関わる根源的なテーマであり、また「性の理解」は、男女が本当に分かり合うための第一歩になると信じているからです。
なぜ男性が女性器について語るのか
そもそも、男性が女性の性器について語ることには、常に「下心」や「勘違い」が付きまとうリスクがあります。
それに対して、女性たちがどう思うか――。
正直に言えば、職場で自分のブログのことが噂になったら、変態扱いされるのではないかという恐怖もあります。知らないところで、「あの人、怪しいよね」と言われていたらどうしよう……。
それでも、私は語ることをやめません。なぜなら、そこに「真実」があると信じているからです。
中学生の頃に出会った一節
性へのまなざしは、私にとって「発見」でした。
まだ中学生だった頃、少しませた友人が一冊の本をプレゼントしてくれました。その本の内容の多くは忘れてしまいましたが、ある一節だけが今でも心に残っています。
「女性のエクスタシーのほうがずっと深いというのは本当である。
女性は身体の構造から言っても、男性に対して身体を開かなければならない。
その分、乗り越えなければならない不安も多い。だからこそ得るものもそれだけ大きい。」
この言葉は、私の価値観に静かに揺さぶりをかけました。
性とは、男性の支配や征服ではなく、「開く」ことの不安と、信頼と、深さの世界なのだと。
欧米の「性の哲学」から学んだこと
欧米文化においても、女性は性において男性に依存する存在だとされてきました。
カサノヴァやフランク・ハリスといった名高いプレイボーイたちの回想録を読むと、女性たちは彼らに出会うまで、エクスタシーを知らなかったといいます。彼らは「性の開発者」として、女性の未知の快楽を引き出し、その代わりに“見返り”として絶対的な性的支配権を要求する――。
ここには、ひとつの支配構造があります。そして、それが今なお多くの男女の関係性に影を落としているのです。
日本における制度と文化のギャップ
たとえばオランダでは、法改正によりやっと夫婦間であってもレイプ罪が成立するようになりました。
しかし、かつての日本では、結婚とは「妻は夫の性欲に応じる義務がある」という価値観のもとに構築されていました。
制度は少しずつ変わってきたものの、意識はそう簡単に変わりません。
つい最近、33歳の部下(新婚女性)からこんな相談を受けました。
「結婚して3ヶ月、毎晩求められて正直しんどいんです……」
亭主関白というより、“気づかない鈍感さ”が、彼女を苦しめているのだと思います。
もしかしたら、私の妻もかつて同じことを思っていたのかもしれません――。
最後に:だから私は書き続ける
私はこのブログで、ただいやらしい話を書いているつもりはありません。
「性」とは何か。
「悦び」とは何か。
「男女の交わり」における本質とは――。
その深淵を、自分なりの言葉で探り、記録し、物語として綴ること。それが私にとっての「官能小説家」への道です。
いつかは「小説」という形式で、より多くの人に届けられるようになる日を夢見て、私は今日も執筆を続けています。
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